井上正甫21 いのうえまさもと
生年 | 1775(安永4)年 |
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没年 | 1858(安政5)年 |
任期 | 1786(天明6)年~1817(文化14)年 |
井上正甫とは
第20代浜松城主井上正定の長男として生まれ、12歳の時に父が亡くなるとその跡を継いで浜松城主となった。その後、出世コースへと入っていったが、素行が悪かったため、寒さの厳しい棚倉(現:福島県棚倉町)へと左遷されている。これは水野忠邦の策略であったという説もある。
生涯
1775(安永4)年に生まれる。父は井上正定、母は桜井氏。
1786(天明6)年に父の遺領を継いで浜松城主となり、6万石を領有した。
1793(寛政5)年に将軍家斉にお目通りがかなって河内守となり、1802(享和2)年には奏者番となっている。
しかし素行が悪かったため将軍の怒りをかい、1816(文化13)年には奏者番の職を解かれ、その翌年には陸奥国棚倉へ左遷された。
1858(安政5)年に84歳で病死している。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
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