松平忠頼04 まつだいらただより
生年 | 1582(天正10)年 |
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没年 | 1609(慶長14)年 |
任期 | 1601(慶長6)年~1609(慶長14)年 |
松平忠頼とは
忠頼の家系は徳川家の分家であり、家康の異父妹を母に持つ。
浜松在城時には庶民による蒲神明宮内の放牧や、竹木、下草の伐採を禁止したり、駿府城の火災の復旧普請に携わったりしている。
生涯
1582(天正10)年に生まれた。父は松平忠吉、母は久松佐渡守俊勝の娘で家康の異父妹である多却君。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは三河岡崎城(現:愛知県岡崎市)を守り、その後、尾張国犬山城(現:愛知県犬山市)や美濃国金山城(現:岐阜県可児市)を守衛した。
また、同年に異父兄の家廣が病気によって死去しており、これに代わって桜井松平家を継ぎ、武蔵松山(現:埼玉県)城主となっている。
1601(慶長6)年に松山から浜松へ転封となり、5万石を領有した。
しかし1609(慶長14)年、招かれた茶宴の席で起きた友人たちの争論にまきこまれて刺され、それが原因となって同年9月29日に他界しており、忠頼の所領は没収された。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
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