百合山羽公ゆりやまうこう
誕生地 | 現:浜松市中区伝馬町 |
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生年 | 1904(明治37)年 |
没年 | 1991(平成3)年 |
百合山羽公とは
浜松出身の俳人。俳句雑誌『あやめ』や『海坂(うなさか)』を主宰。
生涯
1904(明治37)年9月21日に浜松町伝馬(現:浜松市中区伝馬町)で生まれる。
1922(大正11)年、浜松商業学校在学中に俳句雑誌『ホトトギス』に入会。俳人である池内たけしの指導を受け、1923(大正12)年2月の発刊された雑誌上に「鉱務所と廂(ひさし)つづきや山眠る」という作品が掲載される。
1925(大正14)年に加藤雪膓(かとうせっちょう)の「浜松俳句会」に迎えられている。
1931(昭和6)年に『ホトトギス』を退会すると、『馬酔木(あしび)』の同人として活躍。
1946(昭和21)年に天竜二俣で『あやめ』を創刊。その後、『馬酔木』の同人相生垣瓜人(あいおいがきかじん)と共に『あやめ』を『海坂』と改題し、創刊。
句集『春園』『故園』『寒雁』『樂土』などを出版している。
1991(平成3)年、『馬酔木』の葛飾賞を受賞。10月22日に87歳で他界。
句碑
「寒流として天竜も伏し流る」天竜区二俣町二俣 鳥羽山公園
参考
『浜松文芸十人の先駆者』(浜松文芸館)
『静岡県の文学碑』(静岡谷島屋)
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