有玉古窯ありたまこよう
所在地 | 浜松市東区半田町 |
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時期 | 古墳時代後期 |
有玉古窯とは
古墳時代後期の初め頃に築かれた窖窯(あながま)と呼ばれる須恵器を焼くためのトンネル状の窯の跡。朝鮮半島から伝わった技術を使って須恵器が焼かれており、50年ほど操業していたと見られる。
窯の内部は薪を燃やす燃焼室、須恵器を焼く焼成室などからなり、灰原(ゴミ捨て場)からは灰や炭と一緒に焼け損じて割れたりゆがんだりして出荷できない須恵器が大量に出土した。
須恵器
須恵器は細かな粘土を使用し、専門の工人ががロクロを使って綿密に形を作り、1000度以上の高温の窯で焼かれるため、硬く丈夫であり、灰色をしている。しかし、火に弱く割れやすいため、火にかけるときは弥生土器からの伝統を引き継ぐ赤焼の土師器が使われていた。
焼成の途中に窯を塞いで燻すのが特徴であり、高温の窯内では土器に降りかかった灰からガラス質が解けて須恵器に付着し、自然釉となることがある。
焼成品
窯は熱が土器に効率よく伝わるよう、斜面に築かれている。有玉古窯は長さ8.6m、幅1.7m、天井の高さは1.4mほどと推定されており、中ではかがんで作業をしていたと思われる。
いろいろな種類の須恵器が焼かれており、その中で最も多いのは現在の茶碗のように使われていた蓋坏。穴の2~3つ開いた鉢が出土しており、この鉢は何度も焼かれていた跡が見られることから、製品ではなく須恵器を焼くときに使う台であったことがわかる。他にも神祭りに使う器台や、筒状の棺も焼かれており、有玉古窯近くの古墳からはここで焼かれた須恵器や円筒棺が数多く見つかっている。
参考
『浜松の遺跡』(浜松市博物館)
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