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かつお

舞坂の鰹漁

舞阪で鰹漁が開始された時期は不明だが、1498(明応7)年8月25日の大地震によって浜名湖が海とつながったことにより、外洋に出漁できるようになってからであり、また1713(正徳3)年に発行された『和漢三才図絵』の鰹醢の項で「遠州荒井(新居)のもの」という記述があることから、その頃にはすでに舞阪でも出漁していたと思われる。
1882(明治15)年頃の舞阪には10艘あまりの黒ミョウといって舳(みよし/船首にある波を切る木)を黒く塗った大きな和船の鰹船があり、大体12~14丁櫓、乗組員28人程度で出漁していた。その頃の漁は、鰹の餌となる鰯をまず捕り、それから鰹漁を行なっていたが、餌が捕れないと漁ができないので、2艘の鰯網船で網を引いて餌をとる方法も取られていた。1905(明治38)~1906(明治39)年ごろには、釣針、毛針、釣り糸などにも著しい変化があり、また、大漁の時には氏神さまやお寺に鰹を上げていた。
1911(明治44)年ごろになると従来のような櫓での漁はすたれ、和船を改造して石油発動機を据え付けた船で出漁するようになった。そして、餌を捕るのにも網を改造して本船で引くようになり、簡素化された。鰹の釣れる時期は年によって多少の違いがあるが、4月ごろから6月までを初鰹といい、2kgほどの大きさが揃っていて、大漁があるのはこの時期が最も多い。
8月から10月の終わりごろまでが秋鰹の時期となり、1.5kgの物から3.8kgの物まで大小不揃いであまり大漁がない。

 

もちがつお

お餅のようなモチモチとした食感の鰹。特別な種類ではなく、漁獲後4~5時間以内の死後硬直が始まる前の真鰹のことで、浜松では“もちがつお”と呼ばれている。保存のための氷をほとんど入れないため、身が締まらず、刺身で食べるととても柔らかい。
もちがつおは日持ちがしないため、ほとんどが地元で消費されている。遠州灘で漁がされ、舞阪港で水揚げ、そしてお店で食べるという流通システムがあるからこそ、味わうことができる一品。

 

参考

『水産の舞阪』(静岡県浜名郡舞阪町)
浜松市シティプロモーション情報WEBサイト 浜松の元気(参照 2011.6)
 

 

 

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