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伊場遺跡いばいせき

所在地 浜松市中区東伊場二丁目
時期 7世紀後半~11世紀
伊場遺跡とは
浜松市内有数最大規模の古代遺跡。
伊場遺跡には弥生時代に一度集落が栄え、衰退した後、古墳時代にも再び集落が営まれていた。さらに、飛鳥時代から奈良時代にかけての品物も多く出土している。
遺跡から発見された千年以上も昔の木簡や墨書土器などの古代文字資料は、日本古代史上の重要な考古資料として静岡県指定文化財となった。

 

 

伊場遺跡の発見
1949(昭和24)年、浜松市東伊場町の水田で、中学生が弥生式土器の破片を採集し、それを学校の先生に届けたのが遺跡発見のきっかけ。その後、国学院大学が発掘し、学会に報告をした。
静岡市登呂遺跡の弥生時代の集落調査が全国から注目されていた時期にあたり、伊場遺跡の発見も注目された。

 

 

弥生時代の遺跡
環濠・復元住居
遺跡の東半部から、弥生時代後期の三重の環濠に囲まれた集落跡のほぼ全域が、方形周溝墓群や井戸状遺構を伴って発掘された。環濠はそれぞれ1.5mの間隔で平行して掘削され、中濠の総延長約400m、三本の濠の総延長は約1.2kmにも及び、その幅は2~3.5m、深さは約1.5mというとても大きなものであった。
防禦用と思われるこの環濠で囲まれた内側では住居の柱穴と推定される多数の小穴や、墓壙(ぼこう)と考えられる大きな穴が発掘された。また、集落の北側には、内濠に接するように4~5基の方形周溝墓群が、環濠の外側西部には4基の方形周溝墓群が小さな微高地上にあり、墓域を明確化していたのであろうと見られている。
種々の弥生式土器とともに、銅製腕輪、銅製釣針、銅鏃などの銅製品やガラス玉なども出土している。

 

 

大溝と住居跡

遺跡西側からは、大溝と呼ばれる古墳時代中頃にできた自然の埋没河川が検出され、その両岸からは古墳時代中・後期の竪穴式住居跡、掘立柱建物跡などと共に、奈良・平安時代の掘立柱建物跡が48基と柵列などが検出された。奈良・平安時代の建物跡には重複する部分もあり、何度か建て替えが行われていたことがうかがえる。

 

 

古代文字資料の出土

当時の小川がそのまま埋まってしまい、その後千年以上ずっと湿地だったことが幸いして、普通なら地中でとっくに腐ってしまうはずの木製品や獣骨などが大溝から大量に発掘された。その中には墨で書かれた文字が残る奈良時代の公文書である木簡があり、注目を集めた。多くの木簡のほかにも墨書土器や役人が身につけていた帯の飾りなどが出土しており、当時の役所が伊場遺跡付近にあったことがわかる。
木簡には年代や地名、人の名前などが書かれており、古代の暮らしをそこから感じることが出来る。

 

 

参考

『伊場遺跡出土古代文字資料』(浜松市博物館)
『日本の古代遺跡1 静岡』(保育社)
『静岡県の古代寺院・官衙遺跡』(静岡県教育委員会)
 

 

 

 

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