椿姫観音つばきひめかんのん
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郵便番号 | 430-0942 |
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所在地 | 浜松市中区元浜町 |
休 | 1952(昭和27)年再建 |
概要
引間城主飯尾豊前守乗竜の妻、お田鶴の方が徳川家康勢に攻撃されたとき、女ながらも懸命に戦い、侍女たちと共に討死して果てたところといわれている。
飯尾豊前守乗竜は、家康が浜松に入ってきた1568(永禄11)年以前に今川氏真の謀略にあって殺されていたため、第5代引間城主となったお田鶴の方が200有余の城兵と共にたてこもっていた。家康は家臣の後藤、松下の両人を派遣して城を明け渡すよう説得したが、夫人が応じなかったため、止むを得ず攻撃を行う。
落城寸前のさなか、緋縅の鎧に白柄のなぎがた、丈なす黒髪に純白の鉢巻きのお田鶴の方、それを取り巻く白鉢巻きにたすき掛け、刃を手にした18人の侍女の壮絶な戦いが繰り広げられた。この辺り一帯がその戦場となり、力尽きたお田鶴の方は侍女18名と共についに討死して果てたとされている。
家康はこの地にお田鶴の方と侍女18人の亡骸を手厚く葬り祠を建て、その周りに100本余の椿の木を植えて供養を営んだ。毎年椿の木は美しい花を咲かせ、付近の人々はこの塚を椿姫塚(又はお台塚)と呼んで追善供養を捧げた。
御堂は1944(昭和19)年に建立したが、戦時中の浜松大空襲で焼け落ち、1952(昭和27)年に再建した。
近年では御堂に観音様を祭り、椿姫観音として毎年11月23日に町内を挙げて追悼供養をしている。
関連項目
参考・見学
書籍
『はままつ歴史発見』 (静岡新聞社)
史跡
椿姫観音
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