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明治7年の大火めいじ7ねんのたいか

所在地 浜松市中区伝馬町
明治7年の大火とは

1874(明治7)年4月27日は、浜松宿はじまって以来の大火があった。

午前7時半に伝馬町から火が出て、西風が強く近隣に広まり、さらに午前11時からは南風になり、馬込村まで広がり、午後4時にやっと鎮火した。

この火事で18の町と村が被災し、浜松宿の東海道筋目抜き通りはほとんど焼けてしまう大被害。浜松最古の本陣である杉浦助右衛門家も、梅谷本陣家もこの火災で焼失した。 
 

消防組の結成

この大火によって、各町は消防組設置の必要性を感じて、消防組が結成されていった。

(明治7)年結成
新町、田町、肴町、連尺町、伝馬町、塩町、成子町、七軒町上新町、紺屋町、利町、大工町、元魚町、下垂町、旅籠町

(明治15)年結成
天神町、神明町、池町、平田町、板屋町、早馬町、鍛冶町

毎年1月5日に連合消防組の出初式を行うことになった。

 

消火ポンプ

明治時代は「雲龍水(うんりゅうすい)」という江戸時代から使用されていた和製ポンプが使用されていた。大正時代に入ると、ポンプは蒸気ポンプやガソリンポンプが使用された。当時は火の番小屋があり、拍子木をたたいて夜間数回町内を巡視する町が多かったという。
1925(大正14)年に成子町の鈴木幸作が自動車ポンプを購入寄贈したのをきっかけに、常設の消防手6名がそれを用いるようになった。

 

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