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宗良親王むねながしんのう

生年 1311(応長元)年
没年 1385(至徳2)年9月14日
生涯

1311(応長元)年後醍醐天皇の皇子として、二条家出身の母から誕生。

鎌倉幕府が滅亡した1334(建武1)年、後醍醐天皇による新しい建武の政治が始まると、後醍醐天皇側の「南朝」と足利尊氏の「北朝」が対立し、日本各地で70年にわたる騒乱の時代が続いた。

1337(建武4)年8月宗良親王は伊勢から井伊谷を訪れている。

翌年、吉野に集結した南朝軍は、伊勢から舟で東へ向かっていたとき、遠州灘で台風にあい、宗良親王を乗せた船が遠江の白羽に漂着したため、再び井伊城に入った。

 

親王は井伊城にいる間に多くの和歌を作っている。

夕暮れは 湊もそこと しらすげの 入り海かけて かすむ松原
(※三岳山から浜名湖を眺めた歌)など。

 

1339(暦応2)年北朝が遠江に攻め込み、浜松の鴨江城、三ケ日の千頭峯城、などが攻め落とされ、1340(暦応3)年には三岳城も落城。宗良親王は大平城(おいだいらじょう:現在の浜北の大平)に逃れたものの、ここも落城し、親王は井伊道政に助けられ、駿河へ落ち延び、さらに越後、信濃、吉野を転々と過ごした後、信濃大河原(現在の長野県大鹿村)の山奥で30余年、ひっそりと過ごした。

奥山の方広寺が建てられた翌年の1385(至徳2)年、宗良親王は72年の生涯を閉じた。引佐の二宮神社、円通寺足切観音、龍潭寺、井伊谷宮で、宗良親王が祀られている。

 

参考

井の国千年物語

 

 

 

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