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坂田啓造11 さかたけいぞう

誕生地 現:浜松市南区東若林町
生年 1900(明治33)年11月23日
没年 1976(昭和51)年12月16日
任期 1947(昭和22)年4月16日~
1951(昭和26)年4月15日
坂田啓造とは

坂田啓造は、浜松市の第11代浜松市長。任期は、1947(昭和22)年4月16日~1951(昭和26)年4月15日。

 

生涯

1900(明治33)年11月23日、可美村東若林(現:浜松市南区東若林町)の郡会議員、浅羽村長を務める父のもとに誕生した。

三井物産勤務後、岡山県をはじめ数県の警察課長、部長などを経て、1947(昭和22)年、はじめての公選による浜松市長選挙に立候補して当選、初の公選市長となり「浜松市の復興と市民生活の安定に傾注していく・・・」と声明を出した通り、戦災復興と市民生活の安定を最優先課題とし、住宅、道路、学校、墓園の整備に尽力した。戦後最も苦しい時代だったが、教育施設の整備に力を入れ、在任期間中にほとんどの校舎を完成させた。

また、野球ブーム到来とともに、市営球場の工事を再開し1948(昭和23)年に完成。このころ水泳の古橋広之進が世界新記録を出し、浜松市では1950(昭和25)年に市営プール建設に着工し同年竣工し、古橋やマックレーンなどの有名選手を迎えて日米交歓水泳大会が盛大に開催された。このプールは当時全国で五番目の大プールで、坂田市長は「元城プール」と命名した。

さらに、この年、9月10日から41日間にわたって浜松城公園を会場に開催された「浜松子ども博覧会」は、青少年の科学知識を高め、生活の文化向上、産業振興などを目的に、5000万円の巨費が投じられた。特にインド象をお披露目した動物園は子供たちに大人気となり、これを機に浜松市動物園が県内初の本格的動物園として同年11月1日に開園した。
このほか、11月20日には東海一とうたわれる浜松市立図書館が開館するなど、1950(昭和25)年は、浜松市にとって記念すべき年となった。

 可美村出身の坂田市長は広域行政にも意欲的で1949(昭和24)年の可美村の一部と入野村の一部の合併につづいて、1951(昭和26)年の新津村、五島村、川輪村が合併した。

退任後は興誠学園理事長、学長を務め、1976(昭和51)年12月16日76歳で死去。墓天林寺にある。

 

人となり

浜松市役所は市内の公共施設の中では最も粗末な建物になっていたが、坂田市長は「他の施設の建設が先」という姿勢で、新庁舎の建設計画は進めたものの、完成したのは次の市長の時代となった。

 

参考

浜松市ホームページ
歴代浜松市長と市政のあゆみ展冊子(浜松市立中央図書館編)

 

 

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