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横光吉規08 よこみつよしのり

誕生地 現:大分県宇佐市
生年 1888(明治21)年9月21日
没年 1965(昭和40)年3月
任期 1935(昭和10)年2月8日~
1942(昭和17)年9月20日
横光吉規とは

横光吉規は、浜松市の第8・9代浜松市長。任期は、1935(昭和10)年2月8日~1942(昭和17)年9月20日。

 

生涯

1888(明治21)年9月21日、大分県長峰村(現:宇佐市)で軍人の家庭に誕生。

台湾総督府の官僚を経て東京に戻っていたとき、時の内務大臣後藤文夫の推薦を受け、1935(昭和10)年に46歳で第八代浜松市長に就任した。
就任した年に、馬込川が大洪水で市内5000戸余が浸水。これを機に改修工事を積極的に推し進め、それ以降、大きな被害は減少した。また、7代の中村陸平市長以来推進してきた市営バスを、1936(昭和11)年に営業スタートさせ、また日赤病院の誘致も実現させた。

市民運動場の設置ではギリシャの競技場をヒントに、自然の地形を利用してスタンドを造るなどが評判となった。
次第に戦時体制が強まると、物価や賃金の統制や配給制度の導入など国政の下請け的な仕事も多くなり、1940(昭和15)年からは警防団や隣組などを結成させた。

退任後は静岡県食糧営団理事長、浜松市高台農業協同組合組合長を務め、赤字経営を黒字に転換させた。
1965(昭和40)年3月、78歳で死去。墓は大巌寺にある。

 

人となり

長身で細身。
物静かな話し方をする人物。
人に対して誠実で平等な人柄だった。

 

参考

浜松市ホームページ
歴代浜松市長と市政のあゆみ展冊子(浜松市立中央図書館編)

 

 

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