中村陸平06 なかむらりくへい
誕生地 | 現:浜松市中区天神町 |
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生年 | 1874(明治7)年 |
没年 | 1936(昭和11)年 |
任期 | 1928(昭和3)年~1932(昭和7)年 |
中村陸平とは
中村陸平は、浜松市の第6代浜松市長。任期は1928(昭和3)年~1932(昭和7)年。
生涯
1874(明治7)年8月9日、敷知郡天神町村(現:浜松市中区天神町)の酒造業を営む家の長男として誕生。商売に熱心な両親だったため、陸平は祖父の中村五郎七に教育された。この祖父は二宮尊徳の教えを尊んで、天神町報徳社を起こし社長になった人物。さらに父方の祖父、伊東磯平治も陸平の教育に熱心な人だった。この磯平治は浜松委托販売会社、浜松信用組合の創設者でもあり、功績をたたえ、鴨江神社境内西側に伊東磯平治翁の碑が作られたほどの人物だった。12歳で父が急死したため、村の祭りや寄合には自ら参加。元城小学校を卒業後は静岡中学に通い、家業を継いだ。
1899(明治32)年浜名郡会議員、1903(明治36)年天神町村会議員を経て1915(大正4)年天神町村の村長に就任。報徳の精神で、無駄な費用を節約し、勤労を奨励した。相生小学校の増築やピアノの購入のために自ら率先して寄付金募集にも尽力。また全国的な米騒動を目の当たりにしたことから貯蓄を奨励し、天神町村信用組合を設立した。
村が浜松市に合併した後は、1922(大正11)年に浜松市会議員に当選し、浜松市政に尽力。1928(昭和3)年第六代浜松市長に就任した。
都市計画では、停車場線などの道路を完成。上水道は1929(昭和4)年に着工し、天竜川の伏流水を住吉の浄水場で浄水して市内に配水することになった。1930(昭和5)年5月30日・31日の昭和天皇の浜松行幸や、市制20周年の祝賀記念として開催された1931(昭和6)年3月15日~5月8日まで開催された全国産業博覧会を成功させ、商工都市・浜松の名を全国に広めた。 また浜松女子商業学校の開校や浜松駅南口の開設によって駅南地域の発展にも功績を残した。
退任後は浜松商工会議所顧問、大日本報徳社副社長を務め、1936(昭和11)年6月21日死去。墓は天神町の大雄寺にあり、竜梅寺には頌徳碑がある。
人となり
祖父から報徳の道を教えられ、家業だけでなく政治家としても倹約のなかで努力を惜しまない人物。温厚な人柄で多くの人の信頼を受けた。
市長となったばかりの際に、天皇が浜松におみえになった際には、質素な陸平には礼服がなく、二晩徹夜で洋服屋に仕立ててもらい面目を保ったという。
文章や書を書くのが好き。自ら設計して工事監督をする建築好き。
参考
浜松市ホームページ
歴代浜松市長と市政のあゆみ展冊子(浜松市立中央図書館編)
『遠州偉人伝第一巻』
『静岡県歴史人物事典』
浜松といえば
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