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三方原開拓みかたばらかいたく

三方原開拓とは

第二次世界大戦の敗戦で、食糧や住宅、働き場が不足している中で、国は祖国再建の緊急事業として開拓制度を促進。

1945(昭和20)年、三方原には600余名が入植し、三方原開墾帰農組合が結成された。 入植当時は荒れた原野が広がり、強酸性土壌で「とても畑にはならない」と言われていた。「満州開拓では同じ荒野とはいえ無肥料で作物が収穫できたというから、三方原はさらにそれよりも大変な事業だったのではないか」と、当時の入植者は振り返る。しかも開拓関係の施策や制度が整っておらず、また開拓者の多くは農業経験が乏しく、農業技術はあれども農業経営経験は皆無だったという。

 

道路、水もなく、最初は雑穀や芋などの栽培からスタート。堆肥作りのため落ち葉集めや雑草刈りもした。やがて家畜を入れ、その廃棄物で有機質肥料源として土つくりも行った。

その後は電気が引かれ、ポンプで地下水をくみ上げる畑地灌漑を設置。ダスト導入、トラック導入、機械化推進、道路整備、防風林設置、1962(昭和37)年有線放送開設(※1)、1967(昭和42)年天竜川の水を三方原台地に流す三方原用水完成と、確実に開発の歩みを進めていった。 

 

1978(昭和53)年4月三方原開拓30周年を記念し、「開拓の碑」が建てられた。

現在三方原は、浜松市内でも有数な農業生産地域となっている。

 

※1 農集電話が全戸に普及する時代となり、昭和46年に歴史を閉じた。

 

参考

浜松市史

三方原開拓農業協同組合 創立三十周年記念誌

 

 

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