西浦田楽にしうれでんがく
開催地 | 所能観音堂 (浜松市天竜区水窪町大字西浦) |
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時期 | 旧暦1月18日~19日朝 |
名義
五穀豊穣、無病息災、子孫長久、水火の難を除く神事
起源説
719(養老3)年
西浦田楽のはじまり
719(養老3)年行基菩薩がこの地で聖観音の仏像と仮面を作り、その年の7月10日に吉郎別当が祭りを始めたと伝わる。
享保年間に能衆と呼ばれる人たちの世襲となり、神事の前から身を清める掟が守られ続けてきた。
1955(昭和30)年~1970(昭和45)年頃にかけ、過疎の波に押され江戸中期から二百数十年守られた世襲の一部が崩れたが、1976(昭和51)年能衆の間で補うこととし現在まで神事が伝承されている。
仏像は現在本尊として安置。仮面(現在24面)は田楽に使用している。
神事への参加
神事に参加するのは、能衆と呼ばれる者と2名のタヨガミ少年(能衆の子供で8歳~13歳の男子)。
それらを別当と呼ばれる祭主と、舞を担当する能頭3名が率いる。男子のみで古来より役割も世襲制で受け継がれている。
別当
神事の長である別当は、田楽神事を行う前年の旧暦12月の大晦日から家族と火を別にして心身を清め「とき祭」を行う。
年が明けた1月7日別当稗酒を作る。
1月11日に能衆たちはそれぞれ酒米稗を持って別当の家に集合し能衆の稗酒を造る。
1月15日に別当は「鬼ぐす」と呼ばれるもっとも重要な酒を造る。
1月16日晩に決められた者が集まり7日に造った稗酒を温めて飲む。これを「別当祝いの口明」という。
その後、11日の稗酒を温めて飲む。これを「能衆祝いの口明」という。
この日の夕食から別当は家族と別火生活に入り、食事等を一切独りでする。
1月17日別当他決められた者が観音堂内殿に集まり、別当がご本尊の扉を開き、別当以外が観音心経を唱える。
その後15日に造った「鬼ぐす」を本尊に供える。この日の夜は能衆全員が別当家に集合し鎮守祭を行う。
1月18日午後2時頃から能衆が観音堂境内に集まり舞う場所の整備を始める。
準備が整うと決められた者によって「おこない」が行われ、仮面の魂を呼び出す。この間に面の彩色が行われる。
その後、池島焚、北焚、南焚の3つの焚き木が積み上げられる。
御船渡しの綱も準備がすむと、決められた者が別当家でお祝いの言葉を述べる。これを「くら入れ」という。
夜7時頃能衆は身支度を整え、別当家に向かい御酒上げが行われ、決められた順に観音堂の本舞台へと上がる(庭上がり)。
ここから田楽祭りのスタート。「地能」33番、「はね能」12番が行われた後、「獅子舞」と神々を元の場所へ送り返す「しずめ」の舞が行われ、最後に火の王、水の王それぞれの面の「はらい」が行われ終了する。
地能
1.庭ならし 2.獅子舞 3.地がため 4.もどき 5.つるぎ 6.もどき 7.高足 8.もどき 9.猿舞 10.ほだ引 11.御船渡し 12.つるの舞 13.出体童子 14.麥つき 15.田うち 16.水な口 17.種まき 18.よなぞう 19.鳥追 20.殿舞 21.惣とめ 22.山家惣とめ 23.種おり 24.桑とり 25.糸引き 26.餅つき 27.君の舞 28.田楽舞 29.佛の舞 30.治部の手 31.のたさま 32.翁 33.三番叟
はね能
高砂、しんたい、梅花、観音の五方楽、山姥、しょうじょう、くらま、さおひめ、野々宮、やしま、うる舞、べんけい
関連項目
参考
「西浦の田楽鑑賞の手引き」水窪町教育委員会(1995(平成7)年改訂)
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