五社神社・諏訪神社ごしゃじんじゃ・すわじんじゃ
郵便番号 | 430-0937 |
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所在地 | 浜松市中区利町302-5 |
Tel | 053-452-3001 |
概要
昔は北側に五社、南側に諏訪と並んでいたが、市民会館建設に伴い、現在では五社神社の境内に諏訪神社が移された。現在、正面朱塗りの大鳥居にかかげられている社号額には五社神社と諏訪神社の二社の名称が併記されている。
五社神社
古くは浜松城内に創祀されたが、1579(天正7)年にのちの二代将軍秀忠が城内で誕生したため、秀忠の産土神として現在の地に遷座された。大玉命、武雷命(たけいかづちのみこと)、斎主命(いつきぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、姫大神の五柱の神を主祭神としており、ここから「五社神社」という社名が付けけられている。
1615(元和元)年11月に安藤対馬守が奉行となって社殿を造営、八代浜松城主高力摂津守忠房が奉行となって改築、1641(寛永18)年に竣工した。その建物が戦前まで建っていた社殿で、大正3年に特別保護建造物に指定されていた。
「お江戸みたくば五社諏訪ごろじ、お江戸まさりの五社や諏訪」といわれ、社殿の豪華美麗さが東海一円に知られていたが、1945(昭和20)年の戦災によって焼失してしまった。一時仮社殿を余儀なくされていたが、1982(昭和57)年に5ヵ年の歳月を費やし、以前にもまして美しい社殿が竣工した。
境内の石垣は昔のままで、「石になりたや浜松石に、五社のお前の切石に」と里謡にまで歌われている。また境内の一角には高力摂津守が寄進した巨大な石造りの手洗鉢が現存している。
諏訪神社
敷智郡中島村(浜松市中区中島町)に創建されたが、1556(弘治2)年に伝馬町地内に移り、そして西山へ再遷、1634(寛永11)年に現在の地へ三代将軍家光によって造営された。
健御名方(たけみなかた)命、八坂刀賣(やさかとめ)命のを主祭神としている。
遠州国学の祖、杉浦国頭の生家、杉浦氏が世襲の神官であった。
二代将軍秀忠、三代将軍家光と共に深く崇拝をしていた。江戸時代には五社神社と共に300石の朱印地を領していた。
戦前までは五社神社と並び、国宝の指定を受けていたが、戦災によって失われている。
社務所の前には「光海霊神碑」といわれる柱状の碑が建てられているが、これは国学者の賀茂間渕が浜松時代の師である森暉昌への感謝の意を込め、自ら撰文を書き建立した顕彰碑である。
参考
『浜松歴史散歩』(静岡新聞社)
『浜松の史跡』(浜松史跡調査顕彰会)
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