戻る

ルータマシンルータマシン

時期 1949(昭和24)年開発
代表者 庄田和作
時代背景

古くから林業が生活資源の一部となっていた日本では、木工業は家内工業の形で、手工業の域を出るまでにいたっていなかった。遠州地方で機械化が始まったのは、1874(明治7)年に掛塚の大束屋川島平次郎が舶来の丸鋸二台を、火力による蒸気汽缶で使用したのが最初とされる。その後ドイツ製、アメリカ製の木工機械が輸入され、造船、蓄音機製造などで使用されたほかは、大正末期までたいした進歩もみられなかった。

 

ルータマシン開発

第二次世界大戦後、木工機械や刃物の専門メーカーである庄田鉄工株式会社(当時:庄田和作社長)は、国産木材加工に適する機械の研究開発の必要性を感じ、外国製ルータマシンを綿密に調査研究。超高速度化することが必要と、材質、刃先の角度、刃数形状などを追究。1949(昭和24)年国内初の高速面取彫刻機ルータマシンを完成させた。

 

この開発には、毎分2万回という高速で振動が激しくなるため、カッターの完全なバランスが重要となった。そのため高速度回転軸給油装置を開発し、主軸の油ポンプから潤滑油をベアリングに給油し、循環させることに成功。さらに高速回転滑車着脱装置、ルータ刃物軸駆動装置、高速回転ベルトなどを開発した。この高速面取彫刻機ルータマシンは一般木工機械の50倍の生産能力を持ち、彫刻、みぞ切り、切抜き、ほぞ切り、面取り加工も自由にできる応用範囲の広い画期的な発明となった。

 

参考

『遠州産業機械工業発展史』

『庄田鉄工創立70周年記念誌』

 庄田鉄工株式会社インタビュー/本社 浜松市北区新都田1-9-2

 ※画像は『庄田鉄工創立70周年記念誌』より

 

 

浜松といえば
おすすめ記事

徳川家康 浜松まつり 浜松城 浜名湖 中田島砂丘 弁天島 湖北五山 うなぎ 浜松餃子 三ヶ日みかん  ドウマンガニ ガーベラ 楽器博物館

  

iPhone アプリ

地図編集アプリ 「はままっぷ」

 

edited by 浜松情報BOOK