庄田和作しょうだわさく
誕生地 | 石川県石川郡 |
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生年 | 1898(明治31)年 |
没年 | 1972(昭和47)年 |
庄田和作とは
庄田和作は、庄田鉄工株式会社の創業者であり、木工機械に新機軸をもたらした人物。
生涯
庄田和作は1898(明治31)年8月10日、石川県石川郡野々市町新庄に誕生。1909(明治42)年に小学校卒業後京都の工業補習学校で学び、16歳で卒業すると、金沢市の鉄道院工機部に就職した。1918(大正7)年鉄道院浜松工場の拡充に伴い浜松に転勤し、機関車や客車設計修理などを担当。10年勤めた26歳のときに鉄道院を退職し、鉄工技術を習得するため、1923(大正12)年西遠鉄工所に入社。工場長加藤幸太郎の下で働き、、木工機械や刃物製作に関する知識と技術を習得していった。
1926(大正15)年日楽労働争議のあおりを受けて勤めていた西遠鉄工が倒産。不況の時期ではあったが、和作は機械化による産業合理化策に注目し、庄田鉄工所を現在の中区北寺島町に創業し、木工機械や刃物の専門メーカーとして出発した。
1930(昭和5)年ホゾ取付万能丸鋸盤を開発。これは丸鋸機械の画期的な改良と言われた。自信をつけた和作は本格的に木工機械の制作に着手し、1943(昭和18)年に十枚刃溝突カッターを完成。現在の中区向宿町に分工場を設置し、べニヤ機械の製造も開始した。翌年1944(昭和19)年木工用加工用機械として万能傾斜昇降機を完成させ、同年、庄田鉄工株式会社に改組した。
戦後は国産木材加工に適する機械の研究開発の必要性を感じ、外国製ルータマシンを綿密に調査研究。超高速度化することが必要と、材質、刃先の角度、刃数形状などを追究。1947(昭和22)年国内初のルータマシンを完成させ翌年に発表、「ルータの庄田」の基礎を築いた。
さらに、どんな木質も自由自在に美しく切り抜くことができる即切抜用ルータビットも開発。1956(昭和31)年頃には硬質な新建材が出てきたことから、カッタービットも耐久性が要求され、超硬合金を木工用刃物に使用することを考案。試行錯誤の末、1957(昭和32)年カッターやルータマシンのビットに超硬合金を刃先に接着した丸鋸「ダイヤソー」を開発。1960(昭和35)年にはルータマシンのアメリカ輸出を開始した。
その後、高度成長を遂げた日本では高能率化が求められ、1961(昭和36)年から和作の息子である庄田功(当時専務・二代目社長)の構想を基に、NCルータの研究に着手。1967(昭和42)年、世界で初めて木工機械としてルータのNC化に成功した。この他、加工材のムラを取り、裏表二面の切削を同時に行うことができる「ムラ取り式二面鉋盤」など独自のアイデアを駆使した新製品を次々に誕生させていった。
会社が一層高揚していた矢先の1972(昭和47)年6月、病気療養中の和作は73歳で永眠した。
参考
書籍
『遠州機械金属工業発展史』
『浜松ものづくり人物伝』
インタビュー・取材
庄田鉄工株式会社インタビュー
庄田鉄工株式会社本社/浜松市北区新都田1-9-2
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