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平野又十郎ひらのまたじゅうろう

誕生地 竜洋町掛塚
生年 1853(嘉永6)年12月17日
没年 1928(昭和3)年3月8日
平野又十郎とは

平野又十郎は、1879(明治12)年同心遠慮講という貯金組合を作り、永世銀行に発展させ、西遠銀行とし、他の銀行を合併して1920(大正9)年には遠州銀行として遠江随一の銀行に育て上げた。

 

生涯

1853(嘉永6)年12月17日竜洋町掛塚に大回漕問屋主人、林文吉の6男として誕生。
1869(明治2)年又十郎は兵庫県令の岡村義正のもとへ勉強に行く。
1874(明治7)年小野組神戸支店の帳簿整理。
1875(明治8)年帰郷
1877(明治10)年平野家の養子となる。
1879(明治12)年、同心遠慮講という貯金組合を設立。精神修養と研究をする団体でもあった。
1883(明治16)年貴布禰に「永世社会」を設立。
1884(明治17)年舞阪西遠商社を設立
1885(明治18)年伝馬町に西遠銀行設立し頭取となる。
1892(明治25)年天竜運輸株式会社を金原明善らと起こして取締役となる。
1896(明治29)年金原明善に感化され北遠の山に植林スタート。
1902(明治35)年平野社団を設立
1909(明治44)年私費を出して私立浜松裁縫女学校を建て中村みつ子を校長とした。(後の信愛高等学校)
1913(大正2)年中山誠一頭取の浜松銀行と西遠銀行が合併
1920(大正9)年資産銀行を合併して遠州銀行に。
1926(大正15)年遠江銀行、浜松銀行も合併し、新遠州銀行は大銀行となる。
1928(昭和3)年3月8日76歳で逝去。

 

人となり

家族は妻、長男、長女、次男、次女
社会事業や公益事業も陰で行い、売名となることには一切手をつけなかった。
華やかな宴会が嫌い。酒も嫌い。
趣味は和歌や俳句、絵、弓、碁など。読書は歴史物が好き。
健康のため散歩を欠かしたことがなく、五社神社をひとまわりするのが毎朝の日課。
家庭では笛を吹くのが好き。掛塚の祭り笛を吹くのが上手だった。
50歳近くで運転を習い家族に奨励した。
1枚の伝票、1本のペンも大切にさせ、数字上の誤記や計数のあやまりは徹底的に調査させた。
妻のいし子は慈善家。

 

参考

遠州偉人伝第一巻

 

 

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